-創業80年史-
(1938年〜2018年)
静電気は最も身近で太古の昔から知られた電気現象ですが、今日ではこの特異な現象を利用した機器(コピー機など)が数多く誕生しています。
STAXはこの「静電気の持つ特異性」をオーディオの録音と再生の技術に導入した、世界でも、また日本でもオーディオ界の草分け的存在の「静電型」オーディオの専門メーカーです。
80年前、静電気の技術的長所に魅せられ、オーディオ機器への応用と実用化に没頭した技術者が起業。その後、多くのファンの方々や社員に支えられ、今日まで育まれ深化してきた80年の歴史をご紹介いたします。
(2017年撮影の社屋)
第1章 「スタックス」創業
・創業者:林 尚武 (1906年〜2000年 94歳)
*本画像は1995年作成当時のカタログより転載:89歳頃
・1938年 創業
創業時の社名:昭和光音工業(株)
・1963年 スタックス工業(株)に社名変更
「スタックス」ブランドの誕生
●創業者の起業前の活躍・当時の技術環境など
創業14年前 (1924年頃) |
・当時は初期のエレクトロニクス技術が花を開き始めた頃で、無線通信はこれまでの大電力による長波に変わって長距離通信の可能な小電力による短波を使う研究が大学を中心にして盛んになりつつありました。当時、林 尚武は早稲田大学在学中で、この短波の研究を行なっていました。
・放送、通信と前後してアメリカのウェスタン・エレクトリックやベル研究所で電気録音技術が確立され、円盤型レコードはこの後、黄金期を迎えることになります。 ・短波も放送も電気録音も当時は最先端の技術テーマでした。 ・当時、新録音と呼ばれた電気録音はカーボンマイクロフォンによる録音が主で、忠実度の高い大きな音で録音できるようになりましたが、まだまだ音が悪く、演奏者や技術者を満足させるには至りませんでした。 ・コンデンサー(静電型)マイクロフォンはこのような時代に発明され、その特性の素晴らしさ、忠実度の高い音の再現性から世界が注目することになります。この方式は現在も高品位録音の代表的な技術として位置づけられています。 ・このコンデンサー型製品の性能の良さが若き日の林 尚武の心を捕らえ、生涯のライフワークの始まりとなりました。 |
創業7年前(1931年頃) |
・林 尚武は録音技術者として経験を積んだのち、請われて中国・上海の第中華留聾唱片公司(当時は中華民国)というレコード会社の主任技師として大陸に渡ります。
・このレコード会社では、円盤録音のための設備の調達や録音技術の確立など、新しい録音部門の設立で陣頭指揮をとることになります。 ・当時の録音原盤は、ワックス盤と呼ばれ、一種のロウで作られた柔らかい材料を使用しており、このワックス盤にダイレクトカッティングを行なっていました。 ・当然ながら、録音に失敗してもやり直しがきかないため、一発勝負の厳しい仕事になります。 ・この録音をモニターするのには、同じ条件の録音機を2台用意して2枚のワックス原盤に同時カッティングを行い、モニター用原盤に新圧数10グラムのピックアップ(ムービングアイアン型が主流)を載せて再生するもので、柔らかい録音原盤を傷めずに再生することが不可能だったためにこのように2重の手間が必要でした。 ・そこで林 尚武は、鋼鉄製の再生針を磁化し、この磁束を検出する超軽量のカートリッジを考案します。このカートリッジは針圧数グラムで動作し (後のMM型カートリッジへと進化していきます) 、柔らかい原盤を傷めることがなくなったため、録音機は1台で済むという画期的な技術を確立するに至りました。 中国・上海の第中華留聾唱片公司を退職する際に会社より贈られた感謝状ならぬ感謝額 (横100cm,縦50cm) |
第2章 沿革
1938年
創業 | 昭和光音工業株式会社(スタックスの前身企業)を東京都千代田区九段にて創業
・創業者(初代社長) 林 尚武 ・当時の業務はワックス盤(当時のSPレコード原盤)への録音と、それにメッキを施して作る金属マスターの制作、トーキー映画のサウンドトラック録音などの録音技術の提供や関連音響機器の開発など。 |
1944年 | 社屋移転(千代田区九段から豊島区雑司ヶ谷に移転)
・雑司ヶ谷宣教師館(アメリカ人宣教師が1907年に建立し、1941年に帰国するまで使用した木造2階建洋館、300坪の庭のある優雅な佇まい)に移転し、1982年まで本社として使用する。 ・この宣教師館は、1982年にスタックス/昭和光音工業(株)が、埼玉県三芳町に移転する際に「東京都指定有形文化財」に指定され豊島区の所有となる。 ・移転するまでの約38年間にこれまでの録音技術から徐々に音響機器の開発・生産にシフトし、練馬区に練馬工場、埼玉県三芳町に技術研究所(後に本社となる)を開設する。 |
1963年
ブランド誕生 | 社名変更(昭和光音工業株式会社からスタックス工業株式会社へ社名変更)
・「スタックス」ブランドの誕生 ・1950年に誕生した高周波型コンデンサーマイクロホンのブランドとして採用した「スタックス」を社名として採用し、以降今日に至るまで製品の象徴、ブランドとして定着を図る。 |
1980年 | アメリカ ロサンゼルズに現地法人”STAX kogyo inc.”を設立 |
1982年 | 社屋移転(埼玉県入間郡三芳町上富に社屋を移転)
・これまで技術研究所だった社屋に本社機能と工場機能を併設し、音響機器の本格生産が始まる。十分な広さで静電型に限らずオーディオ全般(アンプ、CDプレーヤー、DACなど)に生産規模を拡大し、オーディオ総合メーカーとして拡大路線を歩む。 ・池袋に東京オフィスを設け、ショールームとして機能させる。 ・海外(主としてヨーロッパ)での評価も高く、売上も海外比率が70%を超えるなど、ブランドとしての最盛期を迎える。 |
1988年
社長交代 | 代表取締役 交代
・創業者 林 尚武から長男の林 健に社長交代 ・日本もアメリカもオーディオのブームは過ぎ去り、「オーディオ業界は構造不況業種」と国(当時は通産省)に指定される。 ・円高も徐々に進み、輸出比率の高さが経営の重みになる。国内市場へのシフトを図る。 ・コンデンサー型ヘッドホンの根強い人気に支えられ、超弩級のコンデンサー型ヘッドホン:SR-Ωとハイエンド・ドライバーユニット:SRM-T2を開発。 |
1995年 | スタックス工業株式会社 創業停止(11月)
・急激な円高に見舞われ、海外比率の高さが仇になって採算性が大きく悪化。11月に「創業停止」を公表。日本のオーディオ業界の代表的な老舗企業の経営破綻は内外に大きな影響を与えた。 |
1996年 | 有限会社 スタックス 設立(1月)
・創業者(初代 社長)高橋 彦彌 ・スタックス工業株式会社の債権者会議で新会社の設立とブランドの継承を承認される。 ・元従業員の有志(10名)が集まり、同じ社屋で(債権者に賃貸料を支払って)生産を再開する。 |
1997年 | 社屋移転(埼玉県入間郡三芳町上富から同町の藤久保に社屋を移転)
・スタックス工業の社屋より立ち退いて独立。 |
1998年
社長交代 | 代表取締役 交代
・創業者 高橋彦彌(死去により)から、目黒陽造に社長交代 |
2004年 | 社屋移転(埼玉県入間郡三芳町藤久保から同町の竹間沢東に社屋を移転)
・三芳町の都市計画法に基づく移転 |
2011年 | 中国・漫歩社(英名:EDIFIER TECHNOLOGY)と資本・業務提携
・社長 目黒陽造の高齢化と後継者難から同社の傘下入りへ ●漫歩社:中国 深圳市のオーディオ専門メーカー、深圳商品取引所上場、従業員数 約3000名。 ●董事長:張 文東 |
2015年 | 社屋移転(埼玉県入間郡三芳町竹間沢東から埼玉県富士見市下南畑に社屋を移転)
・本格的なクリーンルームや生産ロボット投入など、社屋・生産設備を一新。 |
2016年
社長交代 | 代表取締役 交代(1月)
・目黒陽造から仲田祥基に社長交代 |
2018年
STAXブランド創業80周年 | 80周年記念モデル3機種を発売
・SR-300 Limited ・SRM-353X BK ・SR-009BK |
有限会社スタックス